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朱智神社から

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(京都府京田辺市天王縄手19)

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その場所は、
山々に囲まれた、急な坂道の奥。
(勿論、自転車は降りて
 歩いていましたが、、)


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辺りの地名は『天王』が多くついてあり
昔は、中々権威のある方が
いらっしゃったのかなぁと。



鳥居の足元には
『八坂神社 宮司 高原美忠 謹書』と。
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更に進んで
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主祭神  迦邇米雷王命
    (かにめいかずちのみこと)
配神   建速須佐之男命
    (たけはやのすさのおのみこと)
     天照國照彦火明命
    (あまてらすくにてるひこ
     ほあかりのみこと)


御由緒  もとは、此地より西方三町餘りの
     所にあり。
     仁徳天皇の六十九に社殿を建てて
     朱智号とする。
     迦邇米雷命は、
     開化天皇〔第9代〕の曾孫で、
     神功皇后/ の祖父に當る。
    〔/第14代仲哀天皇の皇后〕

     垂仁天皇〔第11代〕の御代に
     この地を治められて、
     その子孫が朱智姓を名乗った。

     桓武天皇〔第50代〕の御代に
     須佐男命を相殿として祀られ、

     清和天皇〔第56代〕の御代に
     大宝天王(牛頭天王)を
     現在の八坂神社に遷し、
     毎年 "遷移し" の行事をしていたが

     何時の頃からか無くなった。

     明治維新になり、
     神祇官に上請して
     天王社を古名の朱智神社に復し
     明治六年六月、郷社となる。

     

     

     
     






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檜皮葺が見事ですね。
蒼い色の蟇股も‼︎


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えびす様も可愛いですね‼︎



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牛頭天王も奉納されていて
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[唐様装束の一木作り/
平安時代後期の作]
(他社HPより抜粋)



現在の本殿は
1612年(慶長十七年)に再建される。




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式内社
一間社流造
檜皮葺(屋根)
桃山様式の華麗な向拝や蟇股(かえるまた)





















勝手乍らの参拝を終え、
近くの極楽寺から
精華町、下狛方面を望み
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持参していたパンを食べていたら
隣りの畑のラジオから、
山口百恵さんの
『いい日旅立ち』が。


いい曲だなぁって
思っていたら何かしら気配を感じ


ふと足元を



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元気いっぱい動いていました!




一休憩後、
高船里ー

笠上神社ー
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くろんど池付近ー
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倉治方面へ
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まわった

ゆるゆるなポタリングでした!

















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【向かって左側、前から

⚪︎住吉神社 ー祭神上筒男命
         中筒男命
         底筒男命
⚪︎大高神社 ー  高皇産霊命
⚪︎三社大神社ー  経津主命
         健御雷命
         神日本磐余彦尊
⚪︎朝日神社 ー  正勝吾勝勝速日
         天忍穂耳命
⚪︎大土神社 ー  大山御祖命
⚪︎白山神社 ー  大山祇命
⚪︎稲生神社 ー  豊宇氣毘売神】


【向かって右側、前から

⚪︎天津神社 ー  伊邪那岐命
         伊邪那美命
⚪︎皇神大宮 ー  大神宮祭神
⚪︎春日神社 ー  天児屋命
⚪︎鎭火神社 ー  火産霊命
⚪︎祈雨神社 ー  天水分神
⚪︎金神社  ー  金山毘売神
         金山毘古神


         








•【高原美忠/
     [①日本の神道学者、神職。
     八坂神社名誉宮司。
     皇學館大学学長。
     ②和菓子の命名もされたそう。
     (亀廣永の『したたり』
     、、、今度買いに、、、)
     ③国際宗教同志会
     http://www.relnet.co.jp/kokusyu/
      (宮司なのに、
     同志社大学、金光教、大本など
     他宗教とも広く
     交流をされる等々)
     幅広く活動をされていた
     御方なんですね。]】

・【斗栱・蟇股・木鼻】
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/u-bunkatu-2.htm

・【向拝/
     日本の寺院建築・神社建築に
     おいて、
     仏堂や社殿の屋根の中央が
     前方に張り出した部分のこと。
     仏堂や社殿入口の階段上に
     設けられる場合が多いことから
     「階隠」(はしかくし)とも】



・【牛頭天王/ 下記4点は其々別の地域にある
       牛頭天王像。
       他サイトからです。

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牛頭天王は京都祇園の八坂神社の祭神。

     疫病を防ぐ神であり、薬師如来を
     本地仏とし、
     神道におけるスサノオ神と
     同体であるとする。

     又祇園精舎の守護神であるので、
     この神を祭った場所は、
     しばしば祇園と呼ばれる。

     京都祇園の八坂神社は、
     貞観年間に円如が播磨国広峰から
     牛頭天王を遷して京都に祀り、

     元慶年間、摂政藤原基経が
     牛頭天王のために精舎を建て
     祇園社と呼んだのに始まる。

     天禄元年、
     悪疫を鎮める祇園御霊会
    (祇園祭)が始まったと云われる。

     当時は医療技術が
     乏しかったので、
     疫病を防ぐ
     強い力を持つ
     牛頭天王に対する信仰は、
     平安時代末期から中世にかけて
     広範囲に広まっていった。

     牛頭天王は略して単に「天王」と
     呼ばれたが、
     民衆にとって、
     「てんのう」とは、
     天皇のことではなく
     牛頭天王のことであった。

     新たに牛頭天王を祀る社を
     作るのみならず、
     従来からの古社に
     牛頭天王を併祀することも
     多く行われた。

     そして、それらがいつの間にか、
     従来からの祭神を押しのけ、
     牛頭天王を
     主祭神とするようになり、
     社名までもが変えられていった。

      近世に入り、
     国学者や神道家にとって
     牛頭天王は
     目障りなものであった。

     神道こそ絶対であるとして、
     神仏混淆・本地垂迹を
     排撃する彼らにとって、
     記紀の中で
     重要な位置にあるスサノオ神と
     習合している牛頭天王は
     許しがたいものであった。

      さらに、「てんのう」と
     称することは「天皇」に対する
     重大な僭称であり、
     大不敬と思われた。
     延喜式に記された
     由緒正しい古社までが
     牛頭天王を祀っていることに
     彼らは憤激したのであった。

      彼らは牛頭天王信長対策説
     なるものを考え出す。

     これらの神社は織田信長による
     社寺破壊の難を免れるために、
     織田氏が信仰篤い牛頭天王を
     祀っていると称しただけで、

     本意から牛頭天王を祀った
     のではないと云う説を
     作り出した。

      やがて明治維新となる。
     国学者たちが拠った明治政府は
     神仏分離を政策とし、
     牛頭天王を祭神としていた神社に
     対しては、

     すべてその祭神を
     スサノオ神に変えるか、   
  
     祭神の中から
     牛頭天王を除外することを
     求めた。

     こうして京都の祇園社自身も、
     その名を八坂神社と改め、
     祭神をスサノオ神に変更した。】


・【郷社/
     神社の旧社格の一つ。

     1871年(明治4)
     太政官布告により
     社格制度が新たに定められた際、
     官社以外の神社を諸社といい、

     府社、
     藩社(廃藩後は府県社と改称)、
     県社、
     郷社、
     村社が定められた。

     郷社は府県社に次ぐ
     郷邑(きょうゆう)の
     産土神(うぶすながみ)で、

     村社よりも崇敬範囲が広く、
     一地方にわたって崇敬
     される中心的神社をあてた。】



  ※私自身は、全くの無知から、
  自分だけが分かり易いように
  継ぎ接ぎで纏めているだけです。

  
  
  よくよく見れば、
  ボロがいっぱいあります。
  間違いも沢山ございます。


  その当時の方々の深い意味を
  私の中で『引っ掛かるもの』を、
  勝手に思って調べているので、
  何卒御了承下さいませ。



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